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サッカーW杯日本代表。何故、FW前田遼一が選出されなかったのか。ポストプレーセンス抜群で、今季も低迷ジュビロの中にあって好調維持。心情的には小野伸二も選ばれてほしかったが、前田は昨年Jリーグ得点王。

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10日から開催の、友人、滝口君 http://twitter.com/kojitakii の個展に行ってきた。彼とは、静岡県御殿場市内の中学校同期→沼津美術研究所→新宿美術学院→東京芸大(同時入学)→同じバイト先(新宿美術学院)→大学同時卒業→どちらも作家活動、という間柄。

専攻こそ違えど、何れも二人で相談した、ということが全く無い。奇遇と言ってしまえば其れまでだが、芸大合格発表の当日、芸大の前でバッタリ遭い、そしてその数分後に喜びを分かち合ったということまであった。

学生時代、僕は、典型的なアカデミックの象徴であり、良くも悪くも頭の中が凝り固まってしまいそうな環境(専攻)にずっと在籍していたわけだが、彼の存在がいつも僕に柔軟という風を送り込んでくれていたように思っている。

僕自身が社会との接点を能動的に求めようとするのも彼の存在があったから、というのは言い過ぎか。もしも今後、同郷から誰かと何かを発信していこうとするのなら、彼を置いて他には居ないと考えてしまう作家だ。滝口浩史「PeeP」 http://kojitaki.com/ 、是非ご覧あれ。

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ところで、最近よく思っていることがある。いい意味で、「表現に対して」もっと”バカ”になりたい、と思うんだ。”馬鹿”では無く、”バカ”、だ。また、「表現に対して」”鈍感さ”が欲しい、とも願う。いや、ひょっとしたら既に”馬鹿”であるが故、こんな願いはもう無理なのかもしれないが。

ようやく、自身の表現ネタでTwitterらしいツイート。あまりタラタラと言いたくないが、あくまで『表現行為』に対して「”バカ”であること」、「”鈍感”であること」は自分においても必要な要素だと考え至るようになったんだ。

”たがをはずす”という言葉があるが、生活と制作の相互のバランスの中で、表現行為において上手に”たがをはずす”ことが出来ればどんなに素晴らしいことかと願う。無論その方向性は自分の求める理想と在り方、そして夢に向かってだ。

とまあ、自分-家庭-表現(制作)の大きな三角形の中でそんなことを考えている。またその中のキーワード一つ一つの中にも相関線があり…。「自分相関図」については、”果たして現実を知らずして理想の何が追えるのか-”、という疑問から発想。

━ 人生って常に「揺り籠」の中に在るように思う。
by zeno1016trp | 2010-05-11 00:00 | Twitter