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展示回想と雑感

「晩夏(甲子園の土)」に引き続き連続の日記。
8/8~8/20に開催したグループ展「東京藝術大学第二研究室 素描展」についてのこと。
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先日、無事展覧会を終了することができました。

暑い中、多くの方がお越しくださいました。心より御礼申し上げます。
誠にありがとうございました。
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展覧会の来場者数は"1万2千人"を越えた。この集客はやはり大学美術館の「ルーブル美術館展」の恩恵だ。
一生の、最初で最後の集客数かもしれないと思ってしまう。
いや、この数を本気で越えることを目指していかないと、俺の夢は単なる夢で終わってしまう。
(— 恩恵を授かっておりながらこんなことを申すのも何だが、「ルーブル美術館展」のキュレーションや運営は得てして本当にこれでよかったのだろうか。館内の展示スペース自体が狭い中での彫像が重なり合う作品の展示、そして照明について疑問に思うところがあったのだ。また連日の長蛇の列には驚かされたが、入場待ちの列の成し方、誘導等についても疑問に思うところがあった。)

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話戻って、今回の「素描展」は一般の方にはすこぶる好評を博したものだった。
作品の見えない部分で、作家はこのような階(きざはし)を踏まえていることを認識してもらえたのではないかと思う。そのような意味ではいい紹介の場であったのではないだろうか。

また、このような内容の展覧会は評価の対象とは無縁なものであり、「○○さんの作品がいい」、「△△さんの作品が良く無い」と評することは意味を為さないことだが、ご来場いただいた多くの方がこのような見識を持たれていたことを残念に思った。もちろん"好きか嫌いか"という好みもあるだろうし、ある意味では致し方ないこともわかっているのだが、どれだけの人に展覧会主旨が伝わっているのだろうか、どれだけの人に理解していただいているのだろうかということが気になっていた。


そのためこの度の展示を終えて、我々の展覧会主旨の提示にもう少し工夫できればと思ったのだ。
入口入ってすぐのキャプションボードに、主旨が明記してあった。しかし必ずしも読まれるべきものでは無い。今回の展示は第一回ということもあり実験的要素が強く、さらには出品者自身の内側にも向けた展示でもあったためにこのような状況は目を瞑るべきことなのだろうが、ご来場いただいた方々にはこのような事情は全くもって無関係なものである。
たとえ完全に払拭することを必要としていなくとも、個々が素描について述べる前に「素描とはこういうものではないか」という全体としての大きな前提を、もっと明快に伝達する余地はあったのだろうと思うのだ。これがグループ展としての一方向性にもなっていくものと考える。

個々の提示云々の前に、ワンクッション、全体としての意識とそれに対する主旨の提示方法にもう一工夫があってよかったと思う。より最善を尽くして全体の焦点を合わせていくことが大事なことだと思う。

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自己の展示方法は、作品の選択も含めて、さらに再考する必要があると思った。なぜなら、未だ展示方法の中に受動的な要素が在ると感じたためだ。
しかしながらこの展示参加によって、「描く」ということに強い信頼を見い出すことができたように思う。「素描って?」というところから出発した問いは、「描くこととは?」という問いに辿り着いた。この問いに明確な答えなんて見付かりはしないだろうが、自分の表現に対してもう一歩踏み込みこんで観照(かんしょう)できそうな気がしている。


総括して、"1万2千人"という数に踊らされずに、足下を見つめ直したい。折角「素描」というもので表現行為の足下を見つめていこうとしているのだから。
by zeno1016trp | 2006-08-24 09:46 | 展示回想・雑感