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"生きている"線

担当する大学院研究室の写生会引率の為、明治神宮内苑に行った。
目的だった菖蒲園の花菖蒲はまだ数える程の開花にしか至っておらず残念だったが、夕刻迄写生を行ったり、園内を散策した。
昨日と同様に晴天に恵まれたが、今日は一転して気温がぐっと低下し、木陰に入ると肌寒くも感じられた。上着を一枚羽織ってはいたが、時折吹き抜ける涼風に身震いさえした。
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仕事として赴いた写生であり、そのような状況での写生ではあったが、今日は、僕と同様に写生会引率で来られていた先生方の写生や写生を行う姿に多くの事を学んだように思う。

それは、対象の形を捉える為に引かれた一本の鉛筆の線でさえも自信に満ちているように思われた。線そのものがシャープで活き活きしており、まさしく線が"生きている"ように感じた。そのため、対象の輪郭が凛然としたものに感じられ、確信を持って対象を掴んでいるという印象が一枚のスケッチから表れているようだった。


花菖蒲には恵まれなかったが、多くの得るものがあった一日だった。
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by zeno1016trp | 2007-05-28 23:45 | 制作日記

今日は遅れて参加。

到着後、既に活動していたメンバーと共に、美術館前駐車場の「秋楡(アキニレ)」と食堂前の「メタセコイヤ」に、樹木名札(同定名札)を設置した。

昼下がりには気温も上昇し、この時期にしては暑いくらいだった。
次回は6月9日の予定。

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午後、植栽実験園に足を運んだ。
この時期になると、しばしば葛やセイタカ等の雑草を刈るために実験園に赴く。
先日、その草刈りの最中に、冬眠から醒めたであろう"マムシ"を発見した!たまたま見易い箇所にいたため難を逃れたが、雑草の中に足を踏み入れる際はよく注意せねばならない。(そのマムシは標本として植生部のメンバーと捕獲。絶対にマネをしないように!)


春を迎え、「雁皮(ガンピ)」が開花した。


『雁皮(ガンピ)』
□学名:Diplomorpha sikokiana
□ジンチョウゲ科ガンピ属
□分布:本州(静岡・石川県以西)・四国・九州(黒髪山)
□落葉低木。樹高1~2m。 
□葉は単葉で互生。葉縁は全縁、鋭頭。花期は5~6月。枝の先に淡黄色の花を数個つける。
 樹皮は濃褐色で光沢が有り、和紙の原料となる。
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(画像は雁皮)
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by zeno1016trp | 2007-05-26 23:30 | 植生日記

手賀沼

今日は我孫子市郊外に広がる「手賀沼(てがぬま)」の側道を通過し、アトリエへ向かった。
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この手賀沼は実際に足を運んでみると、思った以上に広陵とした地に広がる水郷だ。周囲38kmの東西に細長い沼には、マコモ、ヨシ、ヒメガマ等の水生植物が生い茂る。辺り一帯の地下にはこの沼を中心に水脈が存在するようで、湧き水が出る箇所が幾つか在るようだ。また、志賀直哉、武者小路実篤、柳宗悦等の白樺派の文豪たちが手賀沼の地域に居を構えたことでも知られている。

ハイキングコースも整備されており、沼を沿って散策した。
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午後は20時まで制作。
利根川に面したアトリエに、川風が強く吹き込む一日だった。
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by zeno1016trp | 2007-05-22 00:00 | 制作日記

steady progress

11日、妻が眼の手術を行った。
一昨年に病を患い、数ヶ月に渡って手術を行ってからというものの、都内の大学病院(眼科)に通い続けていたのだ。

今回のオペは一昨年の手術以降、(僕らも医者も)いつかはやらなくてはいけないものであることは認識していた。そのため、ある程度の心の準備は出来ていたが、急な手術日程となったために流石に動揺は隠せなかった。また、この時期に重なっていた大学の旅行引率の仕事を急遽交替してもらうなど入院前は慌ただしく、正直、不安なものだったが、全ての手術を無事に終える事が出来た現在は心底より安堵している。

そしてつい先日、医師より退院許可が降り、僕は車で妻を新宿区にある某大学病院まで迎えに行ってきた。帰宅後は自宅静養という形でゆっくりと過ごしていることもあり、徐々に回復の兆しがある。
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一時期滞っていた制作は、徐々に再始動している。
また、以前から構想を練っている、同世代作家によるグループ展示開催に向けても再起動し始めた。

仕事を含めてやるべき事は多いが、"日進月歩"という言葉が表すように、着実に歩みを進めていきたいと強く思うこの頃だ。
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by zeno1016trp | 2007-05-18 01:23 | 日常のよしなしごと

鯉のぼり

浅草で三味線演奏家の友人、今藤龍一郎君と会った。

学生時代から続く彼との交友も11年を数える。学生時代のように毎日顔を合わせるということは出来なくなったが、それでも月に一度は会う仲だ。
今回、彼と会うのは実に半年ぶりだった。

その彼は、先月、市川團十郎、海老蔵親子の歌舞伎初のオペラ座公演で話題になっていた「パリ・オペラ座歌舞伎公演」に演奏出演のため渡仏、同行していた。
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歌舞伎公演では「勧進帳」と「紅葉狩」、そして「口上」が上演されたようだが、 NHK教育テレビではその公演が録画放映され、團十郎の"弁慶"、海老蔵の"富樫"、市川亀治郎の"義経"による「勧進帳」の中で、舞台の後方で三味線を奏でる彼の姿が映し出されていたばかりだった。
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(舞台後方、左)






彼と浅草のカフェで珈琲を飲みながら、今回の公演の話やパリの土産話を楽しく聞かせてもらった。

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3日は鎌倉に出掛けた。連休の真っ只中のため、市内のどこに行っても非常に混雑していた。
僕にとって何かと縁のある古都鎌倉は、関東圏において最も好きな地域の一つだ。この日もゆっくりと寺社巡りをし、帰り際にお目当ての自家焙煎珈琲店、「鎌倉珈琲香房」へ向かった。

この「鎌倉珈琲香房」は以前に足を運んで以来、すっかりファンになってしまった珈琲店だ。種類も豊富だが、この日はハワイの「コナ」をいただいた。珈琲好きの僕は勿論ブラックで。
大きめのカップにたっぷりと注がれた珈琲は、その香りと色合いにまず驚かされるんだ。店内も落ち着いており、BGMのJAZZも心地いい。
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5日は子供の日。この東京においても"鯉のぼり"をよく目にする。

とある都心のマンションでも、鯉のぼりが風に靡いていた。夕照に照らされた川面を背景に、鯉はあたかも生命を吹き込まれ、宙を河川に向かって浮遊しているかのようだった。
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by zeno1016trp | 2007-05-05 11:50 | 日常のよしなしごと

久しぶりの日記になってしまった。
僕は、日々の出来事をメモをするという習慣はあるんだけど、ブログに日記をアップするという習慣は欠けているようだ。もう少し頑張りたいと思うこの頃。


先日、静岡の実家に帰省した。清々しい陽気に恵まれた帰省は、とても心が休まるものだった。
都会の喧騒を離れて、静かな農村を散策して悠然とした日々を過ごした。

僕の生まれた静岡県御殿場市は、富士の麓に位置する街である。富士の向かいには箱根の山々が連なり、山に囲まれた地域になる。明治時代に「富士山東表口登山道」が開かれ、富士山への登山口としても知られている街だ。
東京都心部に近いが、市街地が標高約500mの場所に位置するために空気が非常に澄みきっており、夜空の星は美しい。また、富士の雪解け水の恩恵があり、黄瀬川と鮎沢川の源を有した水は美味い。
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この地域の人々は古き時代から富士と共に生活が存在し、そして生きてきたという。
実際に、6~7千年前の縄文時代には既に人々が住みついていたようだが、この頃は、富士山が盛んに火山活動をしており、噴火があると逃げ、おさまると住み着くということを何度も繰り返していたようだ。
10世紀から11世紀ごろにかけて伊勢神宮の荘園となり、この地域を「みくりや」(大沼鮎沢御厨)と呼ぶようになった。僕も幼い頃から亡くなった曾祖父や曾祖母によって"みくりや"という言葉をよく耳にしていた。"みくりや"という地域名は、"御殿場"という地名より不思議と馴染み易さを感じる。
鎌倉時代に入ると、源頼朝による「富士の巻狩り」が行われ始めた。市内には巻狩りに因んだ多くの伝説や地名が残っているのだ。戦国時代になると、駿河今川、甲斐武田、相模北条という"強国"の境界地帯として幾多の戦いに巻き込まれた。特に武田氏と北条氏の争奪戦は盛んだったようだ。
そして1616年、沼津代官はこの地方の土豪「芹澤将監」に対し、関ヶ原の合戦に勝利した徳川家康が使う御殿の造営及びその周辺に新町を建設することを命じ、この御殿を中心に「御殿新町」が生まれた。家康本人が実際に御殿を使用することはなかったようだが、「御殿場」という名はこの「御殿」に由来するのだ。

しかしながら、繰り返される富士の噴火によって噴き出された降灰は、田畑を埋め、山野を覆い尽くし、この地の人々に大きな苦難を与え続けたという。
(参考:御殿場市ホームページ

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静岡を離れて思うことは、僕は富士に支えられて成長してきたということ。
気候が富士山によって左右されることもあったが、一年を通して様々な姿を見せてくれる富士は、雄大なスケールを誇っていた。朝目覚めた時や日が暮れる時は、富士を見て、その姿の見え方や様子で時刻や天候を確認した。どこへ行っても富士を見れば方角や居所が分かり、気がつかないうちに精神的な支えになっていたようだ。
東京から御殿場に帰るたびにその雄大さに感心するが、改めて強い心の支えになっていたことを実感する。
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— 微風が田園の水面(みなも)を静かに揺らしていた。
  其処には、もう一つの富士の勇姿が雙を成すように映り込んでいた。
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by zeno1016trp | 2007-05-01 00:00 | 帰省日記