カテゴリ:展覧会鑑賞記( 7 )

日本橋

制作の合間を縫い、週一日のペースで展覧会廻りをしている。
先日は日本橋三越を皮切りに展覧会を観て廻った。

日本橋三越を出た後、日本橋高島屋に向かうために「中央通り」を沿い、「日本橋」を通過した。日本の道路網の始点となっているこの日本橋は、東京都中央区の日本橋川にかかる橋だ。
ふと、通りがかりに橋上を見上げてみた。僅かな照明が古き時代を感じさせる重厚な橋を照らしていたものの、やはり圧迫感を拭いきる事は出来なかった。

1964年、東京オリンピックの際に日本橋橋上に首都高速道路が建設された。以来、「東海道五十三次」にも描かれているこの日本橋は、橋から空を見上げる事が不可能となった。
アジア初の東京オリンピック開催は、第二次世界大戦後の荒廃から立ち直り、復興を遂げた日本が取り組んだ国家的イベントであった。また、国際社会に復帰するためのシンボル的な意味を持ち合わせていたために、当時は「現代においてはどうしても必要な交通手段ではない」ということで橋上に首都高速道路が建設されたようだ。近年、橋の上を覆っている首都高速道路を移動させ、景観を復活させる構想が立てられている。逆に日本橋そのものの移転案もあるという。
何時の時代も時間の経過と共に、街の様相も目紛しく変容し続けていくだろう。しかしながらこの日本橋のような状況を考えた時、僕たち日本人は、文化価値の高い歴史的産物の現代社会における"在り方"を、再度省みるべきだと強く思うのだ。

                *

日本橋高島屋に寄った後、京橋へ。
京橋の「アートスペース羅針盤」では、数年前に知り合いになり幾度となく作品を観させていただいている田村正樹さんの個展が開催されていた。

入廊してすぐに、田村さんの作品のスケール感と、会場の空間感に目を見張った。
会場に居た田村さんとの会話の中で、田村さんは"屋外で制作を行っている"と語っていたが、それらの作品は実際の寸法よりも大きなものに感じられたんだ。また、作品の表層はダイナミックな筆致を呈しているが、パネルの縁まで田村さんの細やかな配慮が行き届いていたことが印象的だった。

                *

今月3日、高校野球の春のセンバツ大会において、静岡の常葉菊川高校が優勝した。近年、高校野球ではなかなか振るわなかった地元県勢だけにこのニュースは嬉しかった。

強豪の大阪桐蔭戦と仙台育英戦においては各々のスコアが“2-1”という緊迫した試合。その上、決勝戦を含め3試合連続での逆転劇。常葉菊川の試合を中継で2試合観戦したが、チームとしての粘り強さと同時に、走者が進塁しても送りバントをしないという潔さを感じるスタイルは、観ていてとても気持ちがいいものだった。
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by zeno1016trp | 2007-04-05 00:00 | 展覧会鑑賞記

大竹伸朗『全景』

先日、兼ねてから好きな作家、大竹伸朗の展覧会「大竹伸朗『全景』」に行ってきた。
滑り込みセーフの最終日とあって(笑)、会場は多くの人で混みあっていた。
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本展覧会において僕は、常に「フレーム」という言葉が頭から離れなかった。
フレームは主に"縁(ふち)"や"枠"といった意味で使われる事が多い。この意味においては、作品を全く別の顔に仕立て上げる役割を持ちながら、制約という側面も持ち合わせているように思う。
実際に、大竹さんの作品にはフレームのようなものを象った作品もあるが、どの作品においても枠としてのフレームの関連を考えているように感じられた。
また、フレームという言葉は"区分"や"骨組み"という意味も持つ。
そのために、会場には所狭しと小学校、中学校時代の作品から今現在迄の絵画作品、立体作品、エスキースやスクラップ、さらに音楽活動における作品も展示されていたが、これだけの作品の経緯や構築を、"区分"や"骨組み"という点から観る事もできるのではないのかと感じた。

また僕は、いつも作家の辿ってきた軌跡が気になってしまうために、その膨大な作品群を辿りながら自分自身と照らし合わせて観ていた。現在の自分と同じ年齢の頃には何をして、どのような仕事(表現)をしていたのか等々。作品の変遷(移り変わり)や作家の言葉なども興味深く読んだ。


そして作家ご本人もいたが、まさしく普通のおっさんだった!(失礼!?)
ご自身の作品通りの方で、そのギャップが無いところがまたよかった。自分が進むべき方向が本当にこれでいいのかと学生の頃から思い続けているが、改めてこのような作家に対しても憧憬と羨望の念を抱かざるを得なかった。大竹さんの表現に向かうパワーたるや情熱たるや、陳腐な言い方かもしれないが、表現への勇気をもらったような気がしている。

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いつも思うのだが、団塊世代と団塊世代よりやや下の世代の作家にはいくつかの共通項があるように思う。その一つに「器量」という言葉が挙げられると思う。
滲み出るほどのエネルギッシュな"作家性"としての器量と、素材が表白に追従している"才"としての器量、どこか暑苦しい(笑)容貌の"外見"としての器量だ。そして、どこか臨戦態勢で、けれど大らかな印象を抱くことのできる"人間性"としての器量だろうか。
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by zeno1016trp | 2006-12-28 13:14 | 展覧会鑑賞記

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東京国立博物館(平成館)で開催されていた『プライス・コレクション「若沖と江戸絵画」展』に行ってきた。一昨日の事だ。
この日は展覧会最終日の午後だったから、所謂"滑り込み"だった!
案の定、会場は入場制限を設けていたほど混雑していた。

            *

展覧会では若冲の他、狩野派、応挙、芦雪、狙仙、抱一、其一などの江戸時代の画家たちの作品が粛々と並んでいた。蕭白の作品も目にすることができた。


やはり、伊藤若冲の凄みを感じる写実、躍動ある溌墨の世界にはぐいぐい引き込まれた。
若冲筆「鳥獣花木図屏風」。(正確には未だ本人の物か立証されていないようだ。)
1枚につき4万3千という升目を使って描かれた六曲一双の屏風は、江戸時代版デジタル・アートの様であったが、数百年前の江戸時代にあって時代を先読みしたかのような創造性は、なぜか寒気がするほど恐ろしく、新奇に満ちているようにさえ感じた。

ガラスケースを用いず、"光の効果"に工夫を凝らしたという展示室もあった。
作品との距離はガラスケースが存在した以上に生じていたが、何よりも不思議と作品を近くに感じることができ、更に作品の持つ年月の経過を忘れさせてくれる効果だった。

このような展示は古典作品の場合は滅多に見られ無い。一般的な作品観賞用の無機質なガラスは、その役割以上に観者に無意識の距離感を生じさせているように思う。

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帰り際、本館平常展も鑑賞して家路に向かった。

やがてJR日暮里駅から京成線に乗り換えたのだが、居眠りをしていないのにもかかわらず、居住地降車駅を乗り過ごしてしまったのだ。特急電車のため停車しない駅もあったが、居住地からかなり先の千葉県「京成船橋駅」まで行ってしまった。


しばしば、電車内で起きたまま乗り過ごしてしまうことがある。
車内では読書をしたり、また何かを取りとめなく考えていることが多い。喧騒の車内であっても物思いに耽る方だが、そういう状態になったら周囲の状況が気にならなくなってしまう。

それにしても電車内で乗り過ごす事は、運賃や時間のロスが思いのほか大きい。おまけに、ハッと気がついたら想定外の地で慌てて降車をし、罰の悪そうな顔で反対側のホームに向かわなければならない。更に、"やり切れぬ悔しさ"と"やり場の無い怒り"だけが後に残る。

こうも繰り返されると、ある意味"癖"のような面持ちだ。
— 果たしてこれは、自分にとって都合のいい解釈なのだろうか!?
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by zeno1016trp | 2006-08-29 00:41 | 展覧会鑑賞記

8/1のシンポジウム

しばらく日記を記してなかったので、付しておきたい過去のことを簡単に。

今月1日に聴講した『日本画から日本画へ展を糸口として「挑戦する日本絵画」』というシンポジウムのこと。

■シンポジウム /『日本画から日本画へ展を糸口として「挑戦する日本絵画」』 
■パネリスト/加藤弘子氏(東京都現代美術館学芸員)・柏木智雄氏( 横浜市民ギャラリー副館長)・北澤憲昭氏(美術評論家)・堀 浩哉氏(美術家)・ 岡村桂三郎氏(美術家) ・吉田暁子氏(美術家)
■日時/2006年8月1日(火)午後5時-午後8時 
■会場/京橋プラザ区民館 2階

シンポジウムはおよそ3時間。けれど個々の考え方を述べることに非常に多くの時間が費やされ、議論は10分ほどだったのだ。
そのために、消化不良の残るシンポジウムだった。

                *

まず気になったことは、テーマにもなっていた「日本絵画」についてが、序盤から「日本画」という言葉に置き換えられてしまっていたことだ。絵画を考察する上で"切り口としての「日本画」"という言葉の援用だろうと思っていたために、とても残念だと感じた。

時代性などの限定的な意義を持つ「日本画」という言葉の使用は、時に注意して使用しなければならないと思うし、そうあってほしいと願う。便宜上、容易に使用できる言葉ではあるが、安易に乱用するものではなく、慎重に"使い分け"を検討するべきものだと思った。

                *

二つ目に、研究者側と作家側の意見が二つに分かれていた議論について。
確かに、研究者と作家の考え方のズレは当然あると思う。けれど今回のシンポジウムもそれを感じさせる議論となっていたが、論理の起点が近いこともあるのだろうか、ある意味とても似通っているようにも思えた。

個人的には、制度、政治的な言葉としての「日本画」ではなく、西洋との複合的絵画としての「日本画」でもなく、《風土・環境・素材・見立て》などに視点を移し、「日本」画、日本絵画をもっと論じてみたいと思っている。
制作という実体験を通じて、そういったものを踏み込んで語ることができるのが作家であると思うし、作家だからこそ発することができる内容もあるのではないだろうかと思う。そしてそれこそが、作家としての唯一で最大の「生きた声」であるはずだろう。
単なる反発や抵抗から生じた言葉は、一過性のものでしかなく、実に説得力に欠けるものだと思う。それは自分自身に投げ掛けたい言葉でもある。

                *

三つ目に、先に個々の考え方を述べることに非常に多くの時間が費やされ云々、、と記したが、特に岡村先生のトークは長いものだった。笑

けれど身贔屓でも何ものでも無く、他作家の発言に比べて真実性を感じたのは自分だけだろうか?
そこには岡村先生自身の"身の丈"の言葉が在ったように思う。
さらに、「絵画を"人間の存在"と絡めていたこと」、そして「人間として描くという行為の根本的な言及」、「絵画と絵の異質性」など、反発や抵抗から生じたものでは無く、日々絵画に向き合っている人こそが突き詰めることができるだろう論及を発言されていたと感じたのだ。これらの語彙は、今後の美術界にきっと重要度を増すものだと考えている。


にも関わらず、時間を気にした主催者によりあっさり流されてしまったことに落胆を覚えた。
この論題にも限界というものがあるのだろうか。


最後に、このシンポジウムを聴講して、作家としての自覚が一層強まったと感じている。また改めて、自己の考えが作家寄りであることを実感したものだった。
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by zeno1016trp | 2006-08-12 11:44 | 展覧会鑑賞記

先週の木曜日、友人のMと共に、佐藤美術館で開催している展覧会を見に行った。
藝大油科出身で同学年だった藤原さんの個展。

その後、藤沢市湘南台のギャラリーヒラワタという画廊に。
ギャラリーヒラワタでは作家の友人が個展を開催していたのだ。

作家の友人は、鎌倉においての予備校の元生徒だった。
(彼の他にもう一人、鎌倉の予備校の元生徒で、強い意思で作家活動を続けている友人がいる。)
そんな彼らは多摩美日本画を卒業し、現在、活発に作家活動を行っている。俺自身、未だに彼らの姿勢に教えてもらうことが多くあるんだ。

友人はあいにくの不在だったが、遠方まで来た甲斐があった展覧会だった。

              *

その後、ヒラワタに行く直前に落ち合った、藤沢市在住の同級生U君の近場にあるというアトリエへ。

積み重ねられた画集、箱の中に整然と並べられた岩絵の具、そして絵筆。
初めて覗いた彼のアトリエは、これらの画集と画材と壁に打ち付けられたベニヤ板に囲まれた「城」となっていた。

しばらくして俺たちは、床の上に直に座布団を敷きアグラをかいて、ビールを酌み交しながら制作の話などに花を咲かせ始めた。


たわいもない会話の中、ふとMがつぶやいた。

「俺たちはきっと何年たっても、こうして語り合うことができているんだろうね。」

その彼の一言に皆で笑い合い、そして静かに頷きあった。



きっと俺たちは、いつまでもこうやって語り合う仲間でいることだろう。
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by zeno1016trp | 2006-07-25 00:28 | 展覧会鑑賞記

Well done!!

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今日は、目黒区立美術館http://www.mmat.jp/『村田朋泰展  —俺の路 東京モンタージュ—』へ行ってきた。

藝大の講師の傍ら会社を設立し(オフィシャルHPhttp://www.tomoyasu.net/ ) 、今や映像作家として名を馳せる村田さん。
話題を呼んだMr.Children の「HEROプロモーションビデオ」(パペットアニメーション)は記憶に新しい。
村田さんとは共に1年間予備校で仕事をしたこともあり、 旧知の間柄なんだ。
当時、制作についての話をよくしてくれた。構想中のアニメーションのコマやキャラクターを見せてくれたこともあった。ピアノのイメージがあると言っていたな。後に、作品「朱の路」に展開したものだった。


ちょうど今日はワークショップだったようで、会場に彼の姿を見つけた。
以前にも増してオーラを感じた。俺の見方のせいなのか。
彼の座るテーブルの前にはサインを待つファンの列が出来ていて、到底会話が出来そうも無かった。でも挨拶だけでもと思って、横から声をかけた。
「こんにちは。」
一瞬驚いたような顔つきになったが、俺と分かった瞬間、
「おお!今どうしてんの!」
サインを書いている手を動かしながら、気さくに話し掛けてくれた。
そこには数年前と変わらない、優しい眼差しの村田さんがいた。

久し振りに再会したこともあり、少しの間会話を楽しんだ。
けれど家路に着く頃、いつものようにそれは襲ってきた。
"嫉妬?の嵐"。けれど悔しいのか、それとも羨ましいのか分からない。
何なんだ?この突き上げてくる感情。No Borderを観た時もそうだった。笑
素直に鑑賞する自分と、嫉妬を強く感じる自分の二重構造。いつも頭の中でスパイラルを起こす。スパイラル・ブレイン、ぐるぐる。
—確かに俺は、嫉妬深い人間だ。笑


じゃあなんで観るのか。自分に問う。
また迷宮に入り込む。きっと究極のSであり、Mでもあるんだろうな…って、訳分からない答えを当てはめようとする。
一つだけ分かっていることは、"観る"ことを、"視る"ことと同等のレベルで自己の基底に据えているということだ。

…そんなことを考える俺は、つくづく空っぽな人間だなと思う。
その空っぽな自分に、必死に蓄えを増やそうとしているのが本当の自分なのかもしれないとよく思う。
日常生活、人との対話の中からも含めて、俺は自発的にいろいろなものを回収したり吸収していきたいと思っている。取り込まれたそれらは意識的にも無意識的にも撹拌、融解、淘汰され、次第に自己が形成されていくのではないのかって思う。日本が有史以来、中国、シルクロードを経由して、また明治の文明開化以後は欧米を経由して西域までのあらゆる文明を吸収し、独自の文化をつくってきたことにも似ているんじゃないかとも。
こんなふうに、詰め込んだ"坩堝"から再形成されていくスタイルも然りなんだとは思う。
まあ兎に角、地道にやっていくことに変わりはないのだろうけど。




—原宿。昨日、展示を観に原宿に行ってきたんだ。後輩の展覧会を観る為に。
でも祝日なんて日に、手強い"竹下通り"なんぞを通ってしまったのだ。ギャラリーまでの道程を過ってしまった。
原宿駅を降車した後の賑わいといったら、「正月のアメ横」状態。昨日は確実に「アメ横」ではなかったはずだ。
菓子の叩き売りこそはなかったけれど、シルバーアクセの叩き売り。
ちなみにシルバーアクセの変換を間違えて、苦笑い。"汁婆空く背"。
汁婆って、、、一体どんな婆さんだ?笑

引き返すにも引き返せない人間の数。
なんとか通りの中央まで行ったが、明治通りははるか先。そんな状況で改めて人間の頭を見た時、でかい掃除機で吸い取ってしまいたくなった。荒唐無稽なことばかりを考えた。

必死に追いすがり、ティッシュを配る兄ちゃん。
キャッチのネエちゃん。
へそだしルックのギャルたち。ピンクがまぶしい。
ピンクの隣を歩くジーパン女。パンツが右斜めに下がってきて、ケツが見えかくれしている。
横一列に歩く女子高生。遠くから、品定めをしている男のグループ。
中国人や欧米の家族らしき観光客。デジカメで記念撮影しても、貴方たちの後方は遥か先まで人間しかいないはずだ。
外国人男性と日本人女性のカップル。
3人組の白人男性。(なんで半袖なの?な、夏?) 
セクシーな下着ショップに目を奪われていて、思わずぶつかりそうになった。
こんな人込みの中で犬を連れている女性。犬が興奮しているじゃないか。
二人組のカタギの方々。最近の若者が何とかって言っていたな。目を合わせないように耳を傾けていた。笑
どうも好かないこの街。何度来ても好かない。俺のザ・ワースト東京な街。



やっぱり俺は、上野のお山でいいのかも。
小学生の姪が、俺が今まで"動物園の学校"に通っているって勘違いしていたらしい。…動物園の"隣の"学校だよ。
でも、あながち嘘じゃあない。笑



体でも動かしたい気分になってきた。


昨日、WBC野球日本代表が世界一に輝いた。
おめでとう、日本。ありがとう、日本。
Well done!!

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これからも熱くいこうぜ。
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by zeno1016trp | 2006-03-23 02:37 | 展覧会鑑賞記

観賞メモ

先日、銀座のギャラリーを巡った。
二人の友人がそれぞれ個展を開催していたからだ。メトロ東銀座駅で下車して、始めに晴海通りを渡った5丁目の画廊で開催している友人の会場に行き、その後もう一人の友人が開催している昭和通り沿いの画廊に行った。
人の展示を見ることは、自分自身の活動源ともなる。 特に同世代作家の展示を見ることは、とても刺激になる。

俺は、銀座には週に1度、多い時は2度3度足を運ぶ。
銀座は、東京では最も画廊が集中した街でもあり、その数は100を超える。これでも不況、高い家賃の影響によって、移転などで減少している数だ。かつては画廊数が400近く存在したらしい。
画廊にはそれぞれ取り扱う分野があり、個々のカラーを持っている。オーナーの人間性も画廊の特徴に表れているとも言えるかもしれない。作家の作品と同時に、そういう違いを観ることも面白い。
銀座という街は、400年もの年月を遡る歴史があるらしい。 明治の頃からは、新聞、出版関係の会社が多く集まり、情報の発信地になったようだ。現在も多くの出版会社が存在する。現在は多くのブランド店舗が立ち並ぶ。文化とジャーナリズムとトレンドという、「ハイ」と「ロー」と「サブ」の混在した街だろう。

話変わって、先日、新宿にある佐藤美術館の「岡村桂三郎展」に足を運んだ。ちょうどギャラリートークがあった日だ。美術界をパワフルに牽引する作家だ。俺の大学の先輩でもある。
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岡村先生の作品群は、地に根ざしたような「もの」と化していた。決して単なる物体としての「もの」ではない。作品が林立する空間は、まるで迷宮に入り込んだかのような感覚になった。観者への見せ方、取り込み方を始め、あまりに学ぶべきことが多かった。
表現を行うとき、日本的なものを意識しているのかどうか訪ねてみた。先生は、日本そのものはあまり意識していないが、風土や環境、—例えば湿度など、そういったものを意識しているし大切にしていると言われた。
表現とは何か、絵を描くこととは何か、改めて考えさせられたように思う。

もう一つ展覧会を取り挙げたい。東京都美術館で開催しているバーク・コレクション展だ。アメリカの日本美術コレクターであるバーク財団のコレクション展である。 日本美術に関心があり、異国の視点で収集している財団だ。海外の日本美術に対する見方や視点、好みの一端をかいま見ることができる展示だと思う。

展覧会場は、絵画、彫刻、陶器など多くの作品が展示されていた。全くの無名画僧の軸物も多く並んでいて、日本の美術館であまり見ることができないものもあるから面白い。
必ずしも国宝や重要文化財レベルだけが優れているとは限らないとよく思うが、このようにバーク・コレクションの無名や不明の作品を目にすることで、その他の作品群の質の高さも実際に知ることができる。

美術分野だけだとは限らないが、歴史的背景、政治的背景によって影響を受けた時代もある。自分たちが見ているもの、または見せられているものだけが全てではないということを自覚せねばならない。
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by zeno1016trp | 2006-02-13 00:06 | 展覧会鑑賞記