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梅雨の憂鬱

学期末ということもあり、7月に入ってからは本当に忙しかった。久しぶりの日記になってしまった!

野外写生から始まり、大学美術館芸術資料見学、2泊3日の大学院ゼミ旅行、大学院研究会、そして一年生の研究会。8月に開催予定の大学院研究室企画「素描展」の運営も重要な仕事の一つだった。(後日お知らせします!)

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その中で、2泊3日の大学院ゼミ旅行はなかなか面白いものだった。
今回の日本画第二研究室ゼミ旅行のテーマは「磯の形象」、そして目的地は「東京大学三崎臨海実験所」。昨年度に続いて二度目になるものだ。

梅雨真只中の中にあって、天候は最終日になりようやく晴天に恵まれた。
そのため、一番の目的を達成することはできなかったが、海岸沿いの写生に加え、「網」を持って磯の蟹や貝を採集、写生することはできた。
先月の東大三崎臨海実験所主催の「自然観察会」に参加した時ほどの生物を捕獲することは出来なかったが、カニやエビ類を随分捕獲した。
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— 写生がとても好きだ。
自身の素描と言えば、外部に向かう意思を全くと言っていいほど持ち合わせておらず、表現とは全く意味合いが異なると思う。そこには、ひたすら陶酔があり、より増幅した内向的な世界があるんじゃないかとも思っている。

直接“タブロー”に反映するものではないが、“タブロー”と同等、もしかしたらそれ以上に自己の映し鏡になっているのではないのかと感じることがある。
(※タブローという言葉はあまり好んでおらず、現時点ではこれしか適当な言葉が見付からないため使用。<日本画では“本画”という言葉で用いることもできるが、この言葉はさらに好まない>)

さらに素描を通じて、大真面目に表現の"リアリティ"って何だ?と考えることもある。ただ、それらがたとえ表現に生かされなくとも、自己の表現に間接的なきっかけを持っていることは実感できる。つまり、それが自分の素描であると考えている。
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現在は、特に植物の形象に魅力を感じている。
先週末は取手植栽実験園で写生を行い、園内に植生しているクチナシを始め、楮、トロロアオイ、真弓、茜を写生した。
植物が身近にある環境の中に身を置き、土の臭いを感じながらじっと描いていると、あたかも自然と同化したような気持ちになる。

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先日、イタリアがPK戦までもつれ込んだ決勝戦を制し、1982年大会以来4度目の優勝をもってドイツW杯が終焉した。ようやく元通りの生活に戻ることができたが(笑)、やはりどことなく寂しさを覚える。また、今日までサッカーの表にでてこなかった部分が、このような大会の最後の最後に露呈してしまった"ような"終わり方を迎えてしまい、残念に思う。

しかしマスコミは、未だに「ジダン、ジダン」と報道しており、もういい加減に静観したらどうかと思っている。お陰さまで、それまで騒がれていた"日本"の中田の引退が、どこ吹く風といった具合だ。


現在、その中田英寿のように同年もしくは同世代、同学年の人たちが、日々どのようなことを感じ、日々どのようなことを考えて過ごしているのかと気になっている。また、既に歳を過ぎてしまった人、亡くなった人も含めて、現在の自分の年齢の頃、どのようなことを考え、どのようなことをしていたのかということも非常に知りたいと思っている。
特に、物故作家の若き頃の活動、そして若き時代の作品を知ることは、現在の自分にとって興趣が尽きない。

そんな今は、平野啓一郎の「文明の憂鬱」を読んでいる。彼は同世代の芥川賞作家だが、同世代作家とは思えないくらいの「現在」の鋭い視点をかい間見ることができ、とても興味深い。
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by zeno1016trp | 2006-07-19 02:03 | 制作日記